以前の一言はこちら→


Q&A RECORDS トップページへ





どの日に突っ込む? 突っ込みの言葉


■ 2012年 先月 来月

6月30日

 考えすぎると、人間は臆病になる。
私が関白である


 その後、「利休」は東京にも進出しておる事が判明し、東京駅構内にも店舗を発見した。例によって行列ができておるのだけれども、まぁ行こうと思えば行ける店な訳で、仙台での選択は正しかったと言えよう。

 さて次はどこへ行こう。まだ一時間ほどは楽に時間がある。
聞いたら、近くにウェスタンバーというのもあるらしいのじゃ。多分入り口があんなギコギコ開くドアで、みな荒野の少年イサム的なテンガロンハットをかぶり、酒はカウンターを滑らせて出てくるに違いない。しかも、タマに店頭で決闘があるのではないか。
しかし調べたらここも日曜が定休。まったくついておらぬ。

 飲み屋街を回ると、ソープランドとおぼしき店が近くに並んで二軒。しかしこの地では「ソープ~」と言わずに「個室浴場」というらしい。ひとつ賢くなった。また横の通りにはストリップ劇場が見えた。今どき珍しいが、是非この文化を残して欲しいものである。
国分町も、すすきのと同じように飲み屋街と風俗が分かれておらず、飲み屋の向かいにソープなんて感じなのだな。

 ひとまわりして、なんで作ったのか分からんけど、フランスの凱旋門の形を模した凱旋門ビルなんてものもあった。
結局最初の方にあったオープンなバーに入る。イタリアンティストで、店長もイタリア人っぽい。

 それぞれ二杯づつ飲んで、そろそろ時間である。この際仙台駅までゆっくり歩くとしよう。
仙台駅に近づき、以前から気になっていたフローズンビールの店も見かけた。これは東京でも行列のキリンビールの期間限定ショップで、仙台にできるのも知っておったけれども、残念ながら翌日からだったのである。

 では関白は帰るぞ。


6月29日

 道を知っていることと、実際に歩くことは違う。
私が関白である


 感動の中、ストライクウイッチーズ劇場版の鑑賞が終了した。
そうしたらば我々は仙台にとって返して、新幹線と、今回の同行者の終バスの時間まで食事&飲みである。

 仙台と言えば牛タンである。仙台産の牛ではない事は周知であるけれども、そこは記念という訳である。最初「利休」はどうかと思ったのだが、駅ビルの利休も行列ができておった。思えば四年前も、国分町から何軒も空いてる利休を求めて仙台駅まで歩いたものである。

 そこで第二案、こちらも評価が高いらしい旨味太助にする。今ならすいておるらしい。
実は仙台にもガンダムバーがあると聞き、最初その"ZEON"という店へ行こうと思ったのだが、電話したらば「~使われておりません」ではないか。ちなみに関係があると思われる、その近くの「連邦軍」という店も同じであった。
多分バンダイオフィシャルではないので、何か言われて閉店したと想像するのだが、幾つかのWebを探すも、閉店したという確証が掴めぬ。..と言いつつも期待が持てぬので、もう考えぬ事にする。

 で、旨味太助の場所は国分町の近くらしい。しかし時間のないところであるからタクる事にする。
店の名前を運転手に伝えると、知っておるらしい。これなら話が早い。店に行くと結構すいておったが、後から続々客が入って満員になった。結構人気あるのだな。
ちなみに「旨味太助」は近くに「味太助」という店もあって、元々は流れを一つにする店であったようなのだけれども、最近何かあって関係がなくなったようじゃ。

 ちなみに「旨味太助」は基本的に定食系のメニューの店だったので、飲みにはちょっと不満である。場所を変え、時間まで飲むとしよう。

 では関白は帰るぞ。


6月28日

 自然が生み出した芸術。
私が関白である


 ここまで道はほぼ一直線。とうとう仙台に戻ってきた。ここにもアンパンマンミュージアムがあるのだのうと思いつつ、駅近くへ進む。このあたりだとナビにも建物の形が3D表示されるようになってきて分かりやすい。

 ガソリンスタンドで満タンにすると、あちこち走ったつもりでいて、使ったのはなんと6.7リットル。千円ほどだったのである。かと言って車はハイブリッドでもなくマーチだし、最近の車は燃費がいいのだのぅ。
他にも、キーは車に挿さなくても、近くに置いてブレーキを踏みながらスタートを押すとエンジンがかかるとかな。

 車を営業所に返し、徒歩で仙台駅へ。ヨドバシカメラ側から駅に入ろうとすると、以前ヨドバシがあった場所が駐車場になっており、そこから駅から離れる方向に連絡通路が出来て、その先に大きなヨドバシの建物ができておった。
四年来ないと色々変わるものだのぅ。

 そのまますぐ地下鉄で、宮城で唯一ストライクウイッチーズ劇場版をやっておる映画館のある長町南駅へ。
そうしたら上映開始20分前くらいだったので、実は何かドンピシャなスケジュールだったのである。長町南の方面には博物館が幾つかあり、時間に余裕があれば、仙台駅から地下鉄への通路にも案内が出ておった「地底の森ミュージアム」とか行ってみてもよかったかも知れんけれどもな。

 劇場のグッズは、キャラクターの入ったトランクスくらいか。興味はないのでそのまま上階のシアター内へ。チケットは入り口でモギられるのがなんか新しい。この、170名ほども入るシアターでは、一日一回の上映になっておる事もあるだろうけれどもほぼ8割くらいの入りで、うち女性は3名(関白の同行者含む)であった。

 そういえば7/21は「日本三景の日」らしいのぅと言いつつでは関白は帰るぞ。


6月27日

 プロだからみんなに示そう安全運転。
私が関白である


 「芭蕉の湯」では、ちょっと変わった土産が置いてあった。
その名も「石巻の恋人」というものである。なんか見た目が吉本の「面白い恋人」のように見えなくもない、「白い恋人」のパチモン商品っぽいものである。実は「~の恋人」のシリーズはこの地域にたくさんあり、帰りの仙台駅でも「仙台の恋人」というものが同じパッケージで置いてあったり、もうちょっと大きいくくりで「宮城の恋人」というのもあったのである。
この「宮城の恋人」の者のページには類似品の写真が色々載っておるので、左右の矢印をクリックして見てみるがよい。

 次の目的地は塩釜。入り海の奥にあるその町は、勘のいい者は気づいておるかも知れぬけれども「浦霞」の蔵元がある。そこへ行ってみようという訳である。

 ここらへんまで戻ってくると結構な都会という感じがしてきた。さて浦霞はどこにあるのだろう。
ようやく発見できたが何か静まりかえっておる。もしやと思い近くの七十七銀行の駐車場に停めて調べてみると、驚いた事に日曜は定休なのである。

 なんという事であるか

 ゴールデンウィーク中であれば開いておったかも知れぬが、仙台へ帰る道の途中とは言ってもここまで来て残念である。まぁ車だし、また次回の楽しみにするとしよう。
ちなみに宮城と言えば一ノ蔵もあるのだが、それはずっと北の方にある。ついでに言うと仙台駅の反対側をずっと行くと、先日余市で赴いた、ニッカの宮城峡蒸留所がある。これも何かの縁かと思ったが、「駅の反対側」と言っても駅で何駅かあるため、これもまたの機会にしようではないか。

 では関白は帰るぞ。


6月26日

 気をつけてスピード居眠り交差点。
私が関白である


 実はここまでで被災地取材は終了である。心穏やかにして以降読み進んでよい。
次は、日本三景のひとつである松島を通過する。数多い島々が津波を防いでくれ、無傷とは言わないまでも被害が軽減された町である。その景観も素晴らしかったが、当日が日曜という事もあって町は大勢の観光客であふれていた。ここが被災地であるという事をまったく思わせないこの観光地然とした賑わい振りに、ついさっき野蒜駅を見てきた関白は驚いたのであった。それでも一階部分にダメージがあるとかいうような建物もあるのだろうが、ここまで違うのかと思った。観光資源があるのは強いのぅ。

 松島には水族館などのレジャー施設、伊達政宗歴史館などもあるようじゃ。
今回は通り過ぎるだけだけれども、そのうちに来てみてもいい場所である。

 松島の海沿いには、2006年の第46回日本SF大会「ずんこん」の会場であった「ホテル壮観」がある。今や大江戸温泉物語の系列になっておるようだけれども、当時この大きな建物を借り切って行なわれておったのだなと思うと感慨深い。

 我々の目的地は、松島から山の方に上がった「芭蕉の湯」である。この日は温泉に入りたいという要望を伝えたところ、今回の同行者が探してくれた日帰り温泉なのじゃ。
規模は小さいながらも温泉で、ここの食堂で、取り損ねた朝食と兼ねて昼食を摂る。見れば日替わりのお弁当があるらしい。980円と手頃なので、2人ともこれを頼んでみよう。そうしたら出てきたのがこのようなものであって、これが980円なら結構オトクであったと言えよう。

 ここで、備え付けの観光案内パンフレットを見ながら次の予定を立てるのであると言いつつでは関白は帰るぞ。


6月25日

 老いの手に愛の手そっと交差点。
私が関白である


 車は野蒜(のびる)駅に着いた。
ここは仙石線の駅であり、という事は被災して通じておらんという訳である。だが代替バスが通っておるため、自動販売機やトイレも(仮設ながら)機能しておる。代替バスと言っても勿論近くの道路を行く訳なので、最短で行くとは限らず遠回りする事が多い。結構時間がかかるので、それが今回仙石線(代替バス)を使わず宮城交通のバスで石巻に行った理由なのである。
ちなみに日に数本だけ、別ルートで石巻に鉄道で行けるダイヤがある。そっちもちょっと時間が合わんかったのだけれどもな。

 ちょっとこの駅のホームに上がってみよう(写真1写真2写真3写真4写真5)。ひどいものである。直す事すらできておらぬ。もうちょっと見る(写真6写真7写真8写真9写真10写真11)。

 駅の隣にはコンビニがあった。中に入ってみる。この店にはボートが突っ込んできたらしい。それは外に出したものの、取り壊すでもなくそのままになっておる。
ぐるりと回って駅の前に出る。綺麗なものであるが、何か書いてある。よく見てみよう(写真12)。
仙石線は数年は復旧しないと言われておるけれども、この感じでは色々問題があるようだし、果たしていつになるのかのぅ。

 野蒜の、最後の写真を置く(写真13)。向こうに見える松が海岸線近くであるから、このあたり結構津波が来たのだろう。ちなみにこの写真の右側に学校があるらしかったが、皆避難できたのだろうか。

 そろそろ終盤に近づきつつでは関白は帰るぞ。


6月24日

 狭い道老人子供によく注意。
私が関白である


 ストライクウイッチーズ劇場版である。
知らぬうちに上映館が増え、おそらく70館前後になっておるかも知れぬ。当初18館から始まった事を考えると、感慨深いものがある。
そして、早くもBD/DVD版の発売日がアナウンスされた。4ヶ月後の10月26日と、少なくとも7月頃までは上映しておる劇場もあるというのに予想以上に発売が早い。通販受付も始まっておるけれども、今回は各店舗それぞれに限定版があり特典が違う。よく調べて、好きなものを選ぶがよい。

 ところで、関白邸最寄りのファミマでストライクウイッチーズくじが消滅した件を伝えたが、ある日よく見たらば店舗のやや奥の方に移動して残っておったのである。しかも400円に値下げしておった。
景品の残りは17個。すると全部買えば6,800円となる。残る賞品は、リーネちゃんフィギュア1個、クッション3個、タオル1枚、マグカップ1個、クリアファイルが6セット、残りがちびフィギュアであった。
これは難しい問題であるが、ひとつ責任を取って買うとしよう。蒲田のプレミアアニメショップよりももう安いしな。

 だが、レジで残りのくじの枚数を数えたらなぜか16枚しかない。景品はラストワン賞を除いても確かに17個。逆なら万引きとかなのだろうが、ちょっと不可解である。しかし16枚分の値段でいいというので6,400円となった。
ポップなど洗いざらいを袋に入れてもらう。思えば3月に発売されて以来3ヶ月以上もここにあったのか。

 では関白は帰るぞ。


6月23日

 ズレずに安心。
私が関白である


 日和山の神社の神主は、ヨソの地域からここへ婿に来た方らしい。
この困難な状況において元気さを忘れぬ者と聞く。

 さてこの後は、仙台方向に戻る方向で進む。レンタカーは仙台の営業所での乗り捨てにするのである。
海側を通り、自衛隊の松島基地を外から見学しよう。途中の橋の手前で左に迂回させられるから何かと思ったら、なんと橋が落ちてそのままになっておる。いま渡ったのは臨時の橋になるのだろうか。
これはまだいい方で、今回ナビがアテにならない状況が幾つかあった。ナビ上でこっちへ行くはずなのが道がなくなっておるとかで、進む方向が分からなくなる事があった。道のすさみ具合、周辺へのつながり具合から元の道を推察して進むという事をしていたのである。

 松島基地は、さすがに入り口で止められてしまうので周辺から覗くだけにするが、松島基地と言えばブルーインパルスである。周辺の菓子屋では「銘菓ブルーインパルス」という菓子まで出しておるというではないか。
なかなか買えぬ貴重な菓子らしかったけれども、この日はその店がちょうど日曜で閉まっておった。

 ではそのブルーインパルスがどうなったかというと、震災当時、ちょうど九州新幹線を祝う編隊飛行のため9機のうち6機がそっちに出発、メーカメンテナンスで2機が出払っておったため、被害を受けたのは幸いに1機だけだったという。
以降芦屋基地を拠点としておるらしいのだが、まだ戻って来れんのだのぅ。付近の幹線道路には、基地への入り口を示しておるのかブルーインパルスの縮小模型が案内看板代わりに置かれておったくらいこの地には親しまれておるというのに、残念である。

 このあたりには水田が多い。
勿論津波により塩害があるのだけれども、最近は除去する技術も進んでいるとの事。だがまだまだ休耕田は多い。その中で、5月下旬のこの時期に田植えしているのを見たのだが、例えば北陸の田植えはゴールデンウィーク頃であるし、如何にそれより北だと言ってもこれは遅いのではなかろうか。

 誰かそのあたりに詳しい者はおらんかのぅと思いつつでは関白は帰るぞ。


6月22日

 うまい、うますぎる。
私が関白である


 石巻2日目であり最終日は日和山へ上る。山と言っても丘のようなもので、昔は城があったらしいが、今は民家と神社があるくらいである。
だが先日書いた、門脇小学校の生徒が難を逃れたのがこの山である。同じ神社の氏子であっても、被災した者、難を逃れた者が分かれたのは、津波のせいと言っても残念なものがある。

 まず神社近くの駐車場に停める。そうすると辺りにこういう案内板がある(写真1写真2写真3)。やはりというか、ここも石ノ森絵があるのぅ。売店もあるな。
この山からは、石巻が一望できるらしい。向こうに見晴らしのいい場所があるようじゃ。ちょっと何枚か載せてみよう(写真4写真5写真6)。ここからは、うず高く積み上がった瓦礫が見える。これは駐車場ではなく津浪で廃車になった車たち。門脇小の生徒達はこの階段を上って避難してきたのだろうか。

 景色はいいのだけれども、一年半前まではこのあたり(写真7写真8)にも家が建ち並んでおったはずであろうに。
ここへ登ると、津波の被害がよく分かる。昨日行った石ノ森萬画館のあたりも上から見たらこんな感じなのだが、以前はこのようであったらしい。

 この日和山にある神社である(写真9写真10)。3.11の時、はじめは建物の中に避難したものの、続く余震に外へ出た。しかしこの日はなんと雪。上級生が皆の頭の上にブルーシートを広げ、その下に下級生が座って過ごしたと聞く。

 残念ながらこのあたりでとうとうデジカメの電池が切れた。さんざん撮りまくったから仕方ないとは言え、後はiPhoneで撮る事にすると言いつつ、では関白は帰るぞ。


6月21日

 初回登録30pt分無料。
私が関白である


 我々は夜の石巻に繰り出す。
まず一軒目。料理がおまかせで順々に出てくる店であった。酒もそれほど選択肢がないのは残念であったけれども、もっと残念な事があった。途中で帰る客が、残りの料理をくれると言ってくれたのに、我々が店を出るまでにそれらは出てこなかったのである。どうにも石巻と相性がよくないのか。漁師町なので新入りにも優しいはずなのにのぅ。

 このダウナーな気持ちを抱えつつ、だが夜は長くまだ22時。少々時間はある。2軒目はバーに行くとしよう。聞けば24時頃までやっておるという。ここで翌日の予定を立てる事にする。

 ここは特に問題なく過ごせた。24時近くなり問題のホテルへ戻る。
そうしたらどうであろう、フロントが真っ暗ではないか。24時まで電話受付していると言いながら、とうの前に帰ってしまったのである。だから電話にも出なかったのであるな。
中へ入れるのだろうか。チャイムを鳴らすも反応がない。しかし自動ドアは開いた。そうしたら、フロントの上に名前を書いた紙と一緒にルームキーが置いてあったのじゃ。
他にも名前の紙があったので、遅く帰った者がおるのだろう。だが、なんというワイルドなフロントであろうか。まぁともかく無事入れたので良しとする。

 明けて朝。食堂を覗くも朝食を出している気配がない。そうなると皆に出しておらぬのか。皆、疑問や不満には思わんのだろうか。やはり会社手配とかで、自腹で出しておらぬ者が多いと見えるのぅ。

 昨晩はホテルの駐車場にレンタカーを停めていた。500円で一晩停められるのはよかったが、なんと窓を閉め忘れておったではないか。
だが、幸いな事に何もトラブルはなかった。そこだけは田舎クオリティなのだのぅ。

 では関白は帰るぞ。


6月20日

 悩んでも悩まない。そういうように感じることができれば 人生は決して心配することはない。
私が関白である


もももの父「くぅわぬぅぷわくぅ~!!

 何事であるか。

もももの父「隅田川花火大会でありますが、土曜にゆみゆみが、そして日曜に私めに仕事が入ってしまいましてございます!

 なんという事であるか

 既にここで報道済みであるというのにのぅ。
そうしたら土曜日はもももの父が、日曜はゆみゆみが来るという事であるか?

もももの父「いえ、そういう訳にも行きませんで、今回は見送りにしようかと思うので有松

 そうするともももだけ来る手もあるではないか。
金沢から電車だと乗り換えが発生するし道中不安なので、飛行機はどうか。小松から羽田の搭乗口、到着ゲートそれぞれで見送り/出迎えすれば問題なかろう。こういうページもあるな。

 折角の機会である。もももと、もももが大好きな関白おにいちゃんとの時間を作ってやれるようにするといいぞよ。

 ちょっとスペースが余ったので、最近増刷した名刺の作成メモを入れる。
名刺100枚を作るのにおよそ10枚A3ノビの紙が必要で、名刺を300枚作るとして、予備を含めこのA3ノビを36枚用意するとする。ここでA3ノビと言っても寸法が決まっておらんから、仮に317x450mmのサイズに決めて断裁する。
断裁料が840円、大本1枚210円からA3ノビが4枚取れるので、36枚作る時には大本の紙を9枚必要とする。よって紙代は2,730円となるのである。

 なお、36枚を使い切る形で印刷してもらったら、結局350枚作れて印刷代が7,507円だったのであると言いつつでは関白は帰るぞ。
すると名刺一枚当たり30円弱となるので、皆においては大事にしておくがよい。


6月19日

 逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。
私が関白である


 宿は、ゴールデンウィーク明けくらいでは他も空きがあったらしい。だが出発一週間前くらい前になった時点で、宿の選択の余地がなくなっておったのである。次回は十分気をつけるとしよう。

 目的の店は宿から近い。だが同行者がその前にコンビニに行きたいという。
この周辺のコンビニはどこにあるのか。Googleマップで探しても出てこない。この時間、他の店も閉まっており商店街はちょっと暗い。だが商店街にはなさそうで、ホテルで聞いた住宅街の方に進む。
そっちはさらに暗い。それにしてもここの住民はコンビニがなくても困らんのだろうか。一体東スポはどこで買っておるのだろう。

 石巻グランドホテルなど、幾つかのホテルの前も通る。石巻グランドホテルにおいては見た感じ既に震災の影響はなさそうであった。ホテルのページでは3ヶ月先までの予約状況が見られるようになっておったのだが、やはりほぼ満室である。観光や普通のビジネスでこれほど埋まるとは考えられぬから、やはり復興関係者なのだろうな。

 しばらく歩いて目的のコンビニがようやく見つかった。ここで関白は東スポを買う事にする。ただ宿に帰って確認してみたら、なんとこの地の東スポは朝刊紙で、昨日東京で買ったものと同じだったのである。以前朝刊紙の地域を@tospo_mobileに聞いたと思ったのだが、確か九州とか言っておった気がする。むむぅ。

 ちょっと調べたら、去年の9月に返事をもらっておった。

  九州は九州スポーツという朝刊で、あとは夕刊です RT @kanpaku そう言えば旅行いくたび地元の東スポ?を買うんですが、地域によって朝刊紙だったりします。どんな風に分かれてるんですか?

 北海道も朝刊だし、まったく彼の言う事はアテにならんな。..と思ったら、東スポのTwitterアカウントはなくなっておったのだな。

 では関白は帰るぞ。


6月18日

 ママの公式スポンサー。
私が関白である


 フロントでチェックインする。朝食の話が出てこなかったので聞いてみたらば、なんと朝食は付いてこないというではないか。

 なんという事であるか

 「レストラン」のページにも「宿泊された方にサービスで提供しております」と書いてあるし、「料金」の「オプション」にも「朝食付き」と書いてある。「詐欺?」という言葉が頭をよぎるが、温厚で知られる関白、ここで事を荒げる事はすまい。ただ、このページを証拠として、しっかりWeb魚拓に残しておく事にしよう。

 朝食は、書いてあるように宿自慢の料理らしかったので試してみたかった。また料金的に素泊まりだとキツイ気がする。まだ宿で朝食が出せるほどには回復しておらぬのか、それともこの地域は復興で宿がウハウハなため、朝食を提供しない事にして事実上の値上げをしておるのか。
説明が事前にあれば何の問題もないのだけれども、ちょっとこの対応は感心できぬ。そもそも予約時にも、同行者がここに泊まれるなら行動もよりスムーズになると思いまだ空きがあると聞いたら同行者の性別を聞かれ、女性だというとうちは監視カメラもあるし、モーテルみたいに使われると困りますみたいな事を言う。シングル2部屋で、被災地視察だというと納得はしたみたいだけれども、空きがないのでそこまでの話ではあった。
だが、楽天トラベルのページを見ても「カップルと!!」と書いてあるではないか。なんだかもう失礼な事この上ない。

 同行者も、このフロントでの短いやりとりの中でも「いさったホテル」という印象を持ったらしい。多分こういう宿は元々地元の名士みたいな家がやっておって、であるから変なプライドというか顧客不在の対応になるのだろうと想像した。
この苦情はどこに入れたらいいのか。石巻観光協会に入れるべきだろうか。だがHOTEL HAYASHIYAは観光協会に入っておらんのだのぅ。

 では関白は帰るぞ。


6月17日

 負けたくないという言葉は好きじゃない。勝ちたいはまだいい。 けど本当は勝つんだという言葉が一番好きだ。
私が関白である


 高橋容疑者確保の報道がなされたラジオ番組の中では、垣花正アナが「蒲田のような都心にいたとは」と驚いておった。しかし彦三のような人通りのない田舎ではすぐ見つかってしまうではないか。
木を隠すには森の中、人を隠すにはまた人混みの中なのである。

 久しぶりに女川の話に戻る。
途中、道の横を仙石線が通っておった。しかしその線路は繋がっておらん。一体復旧は何年後になるのか。一カ所が切れておるだけならともかく、広い範囲で線路が失われておるのである。

 行き帰りの途中、駐車場に「リアスの戦士イーガー写真)」と書かれたバスが停まっておった。多分ネイガーなどと同じご当地ヒーローなのだと思うが、彼は何と戦っておるのだろうか。

 暗く成り行く道を走り、20時頃に石巻に戻ってきた。
ここで、一旦宿の駐車場に車を停め、同行の美女と夜の石巻で飲みタイムである。まずはチェックインじゃ。意外な事に石巻の宿はふさがっており、石巻グランドホテルなど半年先まで満室なのだという。ちなみにそれは復興事業に関わる人々が滞在しておるらしい。だが、仮設やプレハブに泊まった方が安いのではないか。あるいはそういう風にしてお金を落としておるのか。何か釈然とせぬものがあるが、ネット予約を受けておらぬホテルを幾つか紹介され、その中でHOTEL HAYASHIYAに予約を入れておいたのである。

 ここは楽天トラベルで見ると「一時休業中」施設となっておる。また本家のサイトでも予約フォームがエラーで動いておらん(昨日現在)。まぁ朝食が付いて5,250円ならいいかと思い、予約の電話をしてみた。24時まで受け付けておるというが、その前に電話をするも誰も出ぬ。明けて翌日電話してみると、普通のシングルが一室だけ空いておるらしい。これはラッキーである。予約しておこう。

 しかしこの時、まだこの宿の問題には気づいておらんかったのであると言いつつでは関白は帰るぞ。


6月16日

 考えすぎると、人間は臆病になる。
私が関白である


 石巻~女川ツアーがシビアに続いておるが、それはそれとして関東において昨日発売の東京スポーツ一面で、"Lady Kaga"の件が載っておった。もももの父が言う通り一部の権利利用においてグレーな点があり、ガガ側からクレームが付いたという記事である。
だがそもそもそれは結構前の話らしいので、東スポとはいえ今更これが出るのは、昨日衆院を通過した「違法ダウンロード刑事罰化法案」の目くらましか、関白のページからネタを拾っておるかのどちらかであろう。

 そして昨日のトピックとして、高橋容疑者が蒲田の漫画喫茶で身柄を確保されたという。
しかしその前の晩遅く、「川崎でもうすぐ逮捕される」という話がTwitterで一挙に広まり、現地ではUstreamで実況する者が現れるなど混乱していた。その地点から蒲田まで5km程度であるらしく、今回の確保がそっちと関係あるのかは分からんのだが、その時点の川崎ではテレビリポーターも何人か姿が見えたようである。

 それがデマと報道された後、朝になっていきなり蒲田で確保となった。その場所の西蒲田7丁目というとJR蒲田駅の西側一帯で、アーケードの中の店舗かと思ったけれども、関白もよく行くとらのあなの裏手であり、また日本工学院専門学校の向かい、たちばな書店蒲田店の下の漫画喫茶だったのである。
蒲田署は勝新以来の大物逮捕な訳だけれども、そんな訳で蒲田から川崎の間に近い関白邸近辺にも午前中から上空にヘリが何機も舞い、うるさい事この上ない。逃走ルートでも想像して追っかけておるのだろうかのぅ。

 では関白は帰るぞ。


6月15日

 人は負けたがる動物だ。本当に負けそうになるとすぐ言い訳を探そうとする。
私が関白である


 聞けば、この商店街は16-17時で大体閉まってしまうらしい。地方だから早じまいなのだろうか。
ちょっと話を聞いてみれば、この店主もご両親を津波でなくされていた。2人一緒に寄り合い所みたいな場所の屋上に避難していたらしいが波に持って行かれ、その後それぞれ浜と山で見つかったという。なぜ屋上にいたか分かったというと、一緒にそこにいた他の方から聞いたのだそう。
店主の娘さんは幸いに電車が女川駅に着いたと同時に裏の山の中学校まで逃げたようで、小学校の娘さんと共に2人とも助かったらしい。ただ、安否確認には時間がかかったらしいけどな。

 津波は想像以上の威力と速度がある。その模様は、よく聞くように真っ黒の波が迫り、特に女川は陸地が狭いので、川で津波が迫る模様を写メしておった者はみるみる腰まで水に浸かり、やっとの事で逃げてきたとの事。

 この女川高校もちょっとした高さのある場所なのだけれども、下の交差点まで水が来たと聞く。つまり無事で済んだ地域は少なかったのである。
女川は、駅のあったはずの場所から見える学校のグラウンドにコンテナ式の仮設住居が造られた事でも知られておるが、住民はこういうところで生活しながら復興を行なっておるのである。

 店の中でも、魚屋など水を多く使う店はインフラが整わないとなかなか再開できぬ。仮設商店街の中にはあったろうか。ちょっと確認できんかった。

 では関白は帰るぞ。


6月14日

 人生には、全てをなくしても、それに値するような何かがあるんじゃないだろうか。
私が関白である


 関白邸最寄りの印刷屋が、その一部を店舗に改装しうどん屋を始めるという。昨日はそのプレオープンで、サイズ「」を50食限定で無料提供しておった。
種類は「かけ」と「ぶっかけうどん」の二種。本オープンは月末らしいので、その時点ではトッピングも増える事であろう。
ここで気になるのが近隣に同時期オープンする「源八」である。あそこも地元民の店で、親父同士が知り合いであって挨拶にも来たという。向こうはセルフ形式であるから、それぞれ特徴を出して棲み分けてくれる事を望むのである。

 女川の話に戻る。
最後にこのあたりの写真を載せる(写真1写真2写真3写真4写真5)。ちなみにマリンパルについては、石巻市街地方向に戻る途中、仮店舗が出来ておった。

 女川高校へ着く。グラウンドはアスファルトで固められておった。当然に元のグラウンドに戻すにはコストがかかる。ここまでしなければと言う気合いを感じたが、実はこの学校は2年後に廃校になるという事情もあったのだ。
仮設商店街はこのようになっておった(写真6写真7)。だが、ここができたのがようやく今年のゴールデンウィークである。その名も「きぼうのかね商店街」という。津波で店を失った者達が集まり、地域サービスと経済復興を行うのである。
この日は土曜であったけれども既に18時半ほど。ほとんどの店は閉まり、開いておるのは焼き鳥屋くらいか。一回りしてみると、奥の会議室棟では、先ほど病院前で見た議員かも知れぬ者が後援者と思われる者達の前で熱弁をふるっておったのである。

 折角来たというのに店が開いておらぬとは、どうも来た時間が悪いのか。その中でまだ花屋さんが作業をしておった。話を聞いてみよう。

 では関白は帰るぞ。


6月13日

 恋には賞味期限がある。
私が関白である


 来月28日は隅田川花火大会であるが、皆も知るとおり関白は打ち上げ船目の前の建物屋上で毎年観ておる。
あれだけ行きたいと言っておったもももの父はどうするのだろうか。

もももの父「関白、行く方向で検討しております

 うむ、できればゆみももだけ来る方向で調整するがよい。
ちなみに土曜が雨天の場合日曜に順延になる故、それも考えて予定を組むのである。

 スケジュールと言えば、今年の日本SF大会"VARICON2012"の参加申し込み締切がこの20日に迫った。
今回関白はスタッフでもなければ、昨年4本持ち込んだみたいに企画をやる訳でもない。そもそも現地に行く予定にしておらんので何なのだけれども、関白はカンパのつもりで登録(三千円)だけしておこうか。

 ちなみにSF大会に興味ある民においては、東京は本郷で8月に裏番組というべきかの合宿企画がある。
いつもSF大会と併催される、公式合宿のコンパックがそれである。今年のSF大会はそれそのものが合宿型なのと、やはり夕張まで行くのは辛いという者のために行われる懇親会である。ここには幾つかの企画も行われる予定で、おいおい公開されるであろう。

 もうSF大会おなじみ「ストライクウイッチーズ企画」については、野上武志氏から「コンパックでやるのは、コミケとかぶるので見送り」と言われたのであると言いつつでは関白は帰るぞ。


6月12日

 これはいける、という知恵は、ある天気のいい日に 何の前触れもなく空から降ってわくものだと思っておけば間違いない。
私が関白である


 ここで割り込み情報である。
関白邸最寄りのファミマ、ストライクウイッチーズくじを置いておった店だけれども、この時期に来てまだ景品が結構残っておっていつ値下げするのかと近隣住民の話題の元であったのだが、値下げするまでもなくこの週末に突然姿を消した。
3ヶ月ほども置いてあったから仕方ないとは言え、その前にひとときでも値下げしてくれれば関白も手を出したのに、まったく残念であると言えよう。

 あの景品は一体どこへ行ったのか。処分されたのではなく、どこかの石油王が全部買い占めていったと思う事にしよう。

 ところで、ある日有楽町駅の階段を下りておると、妙なポスターがあった。
加賀温泉郷の広告なのだが、それも"Lady Kaga"と書いてあるではないか! これはもももの父の仕業に違いない。相変わらず下品な広告を作る会社である。

もももの父「これは弊社のものではありませんで、濡れ衣で有松!

 もももの父の会社以外に、こんな広告を作るとこがあるのか。それはそれで縄張り荒らしではないか。
気が付いたらFacebookページまであった。

もももの父「しかしながらこの広告もグレーと言われておりまして、Lady GAGAの方から何か言われるとか言われないとかという話もあります

 動向を注視しておくとしよう。

 では関白は帰るぞ。


6月11日

 世の中に新しい創造などない。あるのはただの発見である。
私が関白である


 このあたりの写真を置く(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9)。結構水が入ってきておる。少しおっただけなのに、潮が満ちて戻れなくなった。若干大回りで車へ戻る。
岸壁はこんな感じで、如何に影響が大きかったかが見て取れる(写真10写真11)。ちなみになぜこんなに浸水しやすいのかと言えば、これらの写真を見て欲しい(写真12写真13写真14)。時間的に満潮まで1時間半あってこの状況である。つまり地盤が結構下がっておると言う事である。よって側の道路は盛り上げておったのじゃ。

 さて、先ほどの病院へ上がる。ここで一応別アングルの写真を置いておくが、この病院の入り口、ここまで波は来たのだ。つまりこのあたり一帯が深く水に浸かった事になる。かなりショッキングな話ではないか。
だが入り口脇には薬局、ローカルFM局のプレハブなどもできており、病院入り口にもこのような張り紙が出ておった(写真15写真16)。ゆっくりながらも復興は行われておるのである。

 残念ながら面会時間も終了しておるような頃なので、復興食堂ものぞかず出る。
ここにも観光バスが来ておった。どこかの議員が支援者と思われる者達を連れて何かしておった。ここからは女川の港が一望できるので分かりやすいのであろう。

 ちょうどこのあたりマリンパルという大きな商業施設があったらしい。だがその面影すら今はない。またそばに七十七銀行女川支店もあったという。この銀行は屋上に逃げた行員12名が死亡・行方不明になり、その指示を出した銀行側と遺族が現在訴訟になっておる。遺族は検証を求め現場保存を求めていたけれども、5/1に取り壊された。ちょうどその日に女川に来た今回の同行者は、遺族が抗議する状況に居合わせたという。

 近くの高校のグラウンドに、仮設商店街が出来たらしい(PDF)。
次はその女川高校へ行ってみよう。

 では関白は帰るぞ。


6月10日

 勇気を出せよ、君の人生だろ。
私が関白である


 石巻は、合併したはいいが元の地域以外の住民情報は役場では関知しておらず、情報のやりとりがないのだという。なんかそれもどうなのかと思ってしまうが、そういうものなのだろうか。

 女川に着いた。
女川駅を目印にしたのだけれども、あるべき場所に駅の建物自体がない。仙石線は切れておるからともかく、ナビの示す位置になにもない。どうした事だろう。
位置関係から発見できたのが役場の建物であった。役場の隣りに停めよう。駐車場なのか何か分からんけど、まさか駐禁を取られる事はあるまい。
向こうに見えるのが役場の建物じゃ。無残な姿ではあるけれども、これはいま壊しておる最中であるので、必ずしも被災だけの所行ではないのだがな(写真1写真2写真3)。

 この位置から周囲を眺めるこの写真の右側、丘の上にあるのが病院なのだけれども、後でそこまで行くので、今はこの高さ関係を憶えておいて欲しい。

 女川は、被害を受けたビルがそのままになっておった。例えばこの建物は、女川の港に来るとすぐ目に入るのだけれども、非常階段の向きがおかしい。よく見ればこのビルは倒れておったのである。
こういう建物は幾つかある。同じ建物の写真はあるが、並べてみよう(写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11)。なぜこうなるのか。一説には、ビルは揺れには強かったとしても、横からの力は想定しておらんので弱いという。確かにそれはあるかも知れんけれども、どの建物も基礎が弱い。これなど基礎がないではないか。それでは倒れても仕方ないのぅ。

 だがよく見るとこれらの建物、倒れておる方向が違うものがあるのに気づくだろうか。
これは、そのビルの間を津波が来たか、あるいは、津波は実は引く時の力が強く、全部持って行かれるのだという。その際に倒れたのかも知れぬ。

 では関白は帰るぞ。


6月9日

 ゴミを集める時はG有り! ゴミを運ぶ時はG無し!
私が関白である


 話が戻るが、ちなみに仮面ライダーV3のあったところは石巻市役所で、一階がスーパーであった。津波が来る事は分かっておったからすぐ食料品を上にあげ、そのため数日持ったらしい。その後も水がなかなか引かぬため、会議室の長机を橋代わりに渡し山の方へ脱出したと聞く。

 さてこれから女川方向へ向かう。
途中瓦礫の堆積所を通ってみる。生憎土曜だからか作業はしておらんかったが、ここらへんにあるのは既に分別が済んでおるもので、後は焼却するだけだろうか。確かこの近辺に焼却施設が出来ておったはずとちょっと探すも、発見できなかった。

 よく見れば、危険な状態で放置されておる家々もある。例えばこれなのだけれども、一階部分がなくなっておる。当然に立ち入り禁止にするべき建物であるけれども、そうなっておらぬのはこの一帯が皆この有様だからだろうか。

 車は進む。すると途中、中央分離帯にこのようなものが乗っておった。別のアングルでも見てみよう(写真1写真2)。これは路上商店街でも売られておった鯨缶の広告オブジェ兼魚油タンクである。当初は道路をふさいでおったのだけれどもボランティアの働きで中央に移された。災害のモニュメントとしてこのまま残すと言われておる。
ちなみに鯨缶の反対方向を見ると、こんな感じである。

 これから女川へ向かう訳だが、女川は海と山が近かったため狭いところを水がすぐ上がって来た。わずかな平地に建っておった建物は全滅したのである。石巻もひどかったが、今回の視察先ではもっとも被害の大きかった場所でもある。
合併によって広がった石巻市の間に挟まれるように、湾側の一部に位置する町である。幸か不幸か女川原発があって資金はあるため、平成の大合併にも参加しなかったという。

 では関白は帰るぞ。


6月8日

 水から生まれる、幸せのエネルギー。
私が関白である


 ここで、最新のももも情報である。

もももの父「関白、来年再来年の百万石祭りにおきまして、もももがパレードに参加する事が決まりましてございます

 うむ、パートは何であるか?

もももの父「まだ決まっておりませぬが、もももの小学校はみな参加させられるのだそうで有松

 最近は、パレード前夜の提灯行列はやらんのだろうか。

もももの父「中心部より遠い学校の生徒は参加しないのであります

 弥生小学校は参加したが、三馬小は参加せんかったのであるか。

もももの父「ちなみに今回のパレードのコースは、金沢駅をスタートに、武蔵が辻交差点を片町方向へ行き、香林坊T字路を兼六園下まで進み、最後に左へ行って石川門までであります

 前田利家に有名人を起用しだしたのもそうだが、年を重ねるにつれ、市民の祭りというよりは観光リソースの比重が大きくなってきておるな。
それもそうだし、多分そのコース選定にも、地元有力者の思惑など入っておるのかも知れぬ。

もももの父「ちなみに今年6月2日になりましたのはやはり梅雨対策でありまして、さらに言いましたらパレードが14時20分から夕方までなのは、遅くまでやって金沢に宿泊してもらおうという事でした

 小賢しい考えである。それなら新幹線が開通したら、もっと遅い時間までやらんといかんくなるではないか。
元々金沢の店は早じまいする事で知られておるのにのぅ。

 では関白は帰るぞ。


6月7日

 すべての武器を楽器に。
私が関白である


 石ノ森萬画館は、このような中州にある。
中州に架かる橋も大きなダメージを受け、落ちないまでも柵が大きく歪んでおった。震災の頃には流れてきた家が乗っかっておったそうで、しばらくはその家の中を通り抜けるように渡ったと聞く。
川向こうには漁船も見えるが、あれも津波で流されてきたものだろうか。

 CMでも使われておるエントランスに行く。見ての通り、壁ふさぎのベニヤ板に、訪れたファン達がメッセージを残しておる。既にメッセージボードと化したからなのか、備え付けのサインペンも置いてあった。
それらメッセージを見てみよう(写真1写真2写真3写真4)。何か気になるものがあった。よく見てみよう。これはこういう事だったのである。
ちなみにこの中州は大きく水に浸かり、この写真だけではわかりにくいかも知れぬが3m近くの水が来たらしい。幸いにして上まで浸からなかったため、橋のあたりにいた人を呼び寄せ救ったらしい。
この建物自体は一階が浸かったけれども、一階は物販コーナーだったので幸い展示物に影響はなかった。中を掃除して先日も公開日を持てたそうで、そのうち復活してくれるかも知れん。

 それでは、石ノ森萬画館での写真を並べる(写真5写真6写真7)。この写真を見れば分かると思うが、こんなところにまで津波が届いたのだろう。
周辺はこのような感じである(写真8写真9写真10写真11)。そしてこれは意図が分からんが、川崎のぼる氏は石ノ森章太郎氏と縁があるにしても、この似てなさ加減は一種の著作権対策なのだろうか。

 では関白は帰るぞ。


6月6日

 エコロジーで大儲けする人がいないと、環境問題なんて解決しない。
私が関白である


 この施設は何なのか。
病院の、一時滞在施設であるらしかった。隣りの建物など完全に沈み込んでおる。そもそもここは川ではない気もするが、かすかに水の流れがある。どこから水が来ておるのだろう。
施設の前にはスロット機が。レクリエーション用なのだろう。中に入ってみる。このような張り紙があるところを見ると、この施設におった者は無事安全なところに移ったのだろうか。
建物の中はこのような状況であった(写真1写真2写真3写真4写真5)。市立病院まで来ると、先ほどの瓦礫も大きく見える。最後に病院正面の写真を置く(写真6写真7)。実は近くに赤十字病院もあったのだけれども、幸いにと言うか数年前に愛宕山の方に移転しておった。今回の震災では医療の拠点として機能しておる。近くの石巻専修大学もボランティア拠点となり、グラウンドにテントを張り、ボランティアが活動しておると聞く。

 最後にここから日和大橋の写真を撮っておこう(写真8)。かなり大きな橋だけれども、津波の時には上の4台ほどを残して持って行かれたと聞く。

 続いて、北上川中州にある石ノ森萬画館へ向かう。
トヨタのテレビCMでも出てくるこの建物を見た事もあろう。着いた現地はスタッフもおらずひっそりしておる。向かいには石ノ森章太郎氏が幼少の頃通い詰めた、このあたりでも古い映画館があったらしい。だが津波を受けて更地になっており、そこに何があったか想像し難い。向かいのジャングルジムのようなものもこんな感じであった。

 では関白は帰るぞ。


6月5日

 自分の能力を超えた野望を持ってはじめて、自分の真のポテンシャルがわかる。
私が関白である


 Acousticよりのお便りである。

  Acousticです。石巻の写真、本当に心が痛みますね。私もあの地震のあと、気持ちがおかしくなってしまい、心療内科にかかってしまいました。
  処方された薬があまり合わず、大変な目にあいましたが、現在は平穏です。


 現地へ行くまでイメージできなかったのだが、まったく人の想像力を超えるものであった。
今回の震災で被害がもっとも大きかったのは宮城県だが、その中でも石巻市は死者行方不明者およそ三千人と、人的被害がもっとも大きかった事で知られる。人的金額的に大きかったのは、隣り福島県の太平洋沿岸の30万都市であるいわき市であろう(参考)。今回は行かなかったものの町一つなくなった陸前高田もあるし、これから行く女川町の被害も大きかった。

 ちなみに写真で見ると分かるかも知れぬけれども、沿岸地域で幾つか残っておる建物はおおむね市の建物(施設、住宅)である。これは個人宅の撤去を優先しておるためで、まだ市のものまで手が回っておらぬ状況じゃ。市は市で、取り壊しよりも新しい施設を作ったりする事が先なのであろう。

 市立病院の隣のアパートである。古いようにも見えないし、また病院にしても築10年かそこらくらいのものではあるが、取り壊しはともかく補修も出来ぬのは、やはり「住む事の出来ない場所」に建っておるからに他ならぬ。
病院とその周辺の写真を見てみよう(写真1写真2写真3写真4写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12)。

 そして、先ほど見えていた施設の側へ行く

 では関白は帰るぞ。


6月4日

 元気の押し売り。
私が関白である


 ここで緊急連絡である。
去る1日に夏コミケの当落発表があった。そこで我らがQ&A RECORDSと盟友ロリータソフト、共に落選してしまったのである。

 なんという事であるか

 少なくともどちらかは通るものであるというのに、両方落ちるのは数年ぶりか。秘書その2も悲嘆に暮れておった。
こうなれば、委託スペースで一万冊くらい売って思い知らせてやらねばならぬだろうか。それはともかくとして、次善の策を練らねばならぬのぅ。

 石巻の話に戻る。
被災地を行くと、よく大型のバスを見る。こんなところに路線バスが走っておる訳はないので観光タイプのバスなのだが、一体どういう者達が乗っておるのだろう。先日書いた小学校に慰霊に行く者達、議員とおそらくその支援者達、また、(見間違えでなければ)東京消防庁の視察隊など理由は様々であった。
個人レベルの視察(もしくは観光)グループの車や、勿論復興関係の車も見るが、それらを除けば海寄りの地域は基本的に車が走っておらん。このあたりは瓦礫が整理され雑草も生え、あたかもここには元から何もなかったかのような印象すら受ける。

 石巻市立病院へ行ってみよう(写真1)。
近寄ってみると、手前の施設が崩れたままになっておる。車を止めて病院に近づく(写真2)。

 では関白は帰るぞ。


6月3日

 シンプルをあなたに。
私が関白である


 つい先日からやっておるトヨタの北野武、木村拓哉のCMが今ちょうど石巻編で、まさに駅前アーケードの石ノ森キャラオブジェ、ここでも後に紹介する石ノ森萬画館が出ておる。多分関白が石巻に赴いたという情報が既に広告代理店に流れておったのであろう。だが、あの車の進行方向では石ノ森萬画館から離れるではないか。

 時に石巻の放射線量はどれくらいなのだろう。
福島第1原発からはおよそ100km。しかしエアカウンターSでは0.05μSvほど。つまり東京都内と違わぬのである。そんな状況で震災瓦礫の焼却がどうこう言う地域があるらしいのは驚き以外の何物でもない。
ただ極力震災地で処理した方が、効率でも雇用の点でもいいとは思う。例えば横浜の山下公園は関東大震災の瓦礫を埋め立てて作ったという。そういう解決方法はないのだろうか。
ちなみにだが残念ながら福島はまだ高く、福島駅に停車中の新幹線内で0.20μSvほどあった。

 ところで今週末は百万石まつりである。
そもそもは毎年6月14日で、それが近年そのあたりの週末になったかと思えば今年から6月頭になったというではないか。そもそも前田利家が6月14日に入城した記念の祭りであると言うのに、なんというポリシーのなさであろう。
ともあれ金沢は観光地でもある。客を呼びやすい土日、さらに梅雨に引っかからぬ時期に動かしたのはやむを得ぬのだろうか。

 しかし百万石まつりと言えば市の祭り。毎年6月14日は市立の学校が休みになっておったのにのぅと思いつつでは関白は帰るぞ。


6月2日

 おいしさとやすらぎを。
私が関白である


 車は石巻市内を進む
そうしたら、こういう看板をかかげて地元のものを売っておる路上商店街があった。その向かいにはこのような慰霊施設がある(別アングル)。震災時、津波はこのポールの上まで来たという。このあたりの写真を置く(写真1写真2写真3)。
このあたりはもう遙か向こうまで更地が続いておる。とてもここにぎっしりと家が建っておったとは想像できぬ。だがよく見れば海寄りに瓦礫の山があるではないか(写真4写真5)。この写真の隣にあるのは市立病院で、我々もこの後向かうのだが、瓦礫の山はかなりのもので、しかもこれだけ積むのも技術が必要であるとの事。
ここでは松前漬けや鯨缶など各500円を買って、すぐそばの小学校へ向かう。

 向こうに門脇小学校が見えてきた。
このあたり一帯は数日水が引かず、また同時に火災が発生し3日3晩燃えたという。小学校を見れば分かるけれども、上の方だけ燃えているのはそういう訳なのだ(写真6写真7)。ここは幸いにして震災時は生徒がまだ残っており、裏の階段から日和山に上がって人的被害はほとんどなかったのだという。
ちなみに報道では流れてきた車から火が出たとなっておるけれども、地元の者はそんな事は分からんと。報道は嘘ばかりだと言う。数日経って火の出た場所もあるようで、それにしても火がくすぶっておったのか、火災保険目当てなのかは分からんらしい。

 家があったと思われる場所にこのような自転車。元の持ち主のかも知れぬのう。
このあたり、瓦礫は綺麗になっておるのだが、新しい建物を建てたりはせんのだろうか。

ここ(とおりの駅)から南側は、住んではいけない場所になりましてございます

 この広大な土地は公園にするらしい。また家が建てられたとしてもガスインフラの復旧が遅れているため、オール電化にせざるを得なかったという話もあると聞く。皮肉なものであると思いつつでは関白は帰るぞ。


6月1日

 「人」と「空気」のあいだに、いつも関白。
私が関白である


 石巻駅前に停まっておるタクシーは、このような観光コースを回ってくれるようである。だがこの中では、ほぼすべての観光名所が被害を受けておる。事実上観光タクシーは機能しておらん。それでもと言えば回ってくれるはずだけれどもな。

 石ノ森キャラとマッチした市内施設は、やはりこの交番だろうか。ギャバンからのメタルヒーローの先駆けではあるが、続編が出なかったせいか、イマイチ世間の認識は低い。だが忘れられておらぬのがよいではないか。

 駅前で、今回エスコートしてくれる美女と合流し、市役所一階の復興食堂で石巻焼きそば(450円)を食す(写真1)。麺が茶色である事が主な特徴らしいのだけれども、言われなければ普通の、目玉焼きが乗った焼きそばくらいに思える。

 そしてレンタカー屋へ。今回はマーチを借りた。各種割引を駆使し、仙台乗り捨てで24時間6,600円ほどである。
レンタカー屋も母屋が復旧途中で、受付は敷地内のプレハブで行った。震災当時は津波でPCが浸水して大変だったと聞く。一年以上経ってもこの有様である事に、如何に今回の震災のダメージが大きかったか想像される。

 車は石巻市街地を出て海の方へ。
途中こういう建物も見えてきた。そして車は海からほど近い、ある幼稚園へ(写真2写真3写真4)。こここそ津波で2階まで水没したものの、全員で屋根に上って救助された石巻みづほ第2幼稚園なのである。
震災後にヘリで救助され自衛隊の船に収容された報道に憶えのある者もおるだろう。もうちょっと津波が高かったら、果たして助かっただろうかというきわどい状況であった。それでも早目に返した子供は被災したという。わずかなところで生死が分かれたのである。
写真を見てもらおう(写真5写真6写真7写真8写真9写真10写真11)。

 地震から津波までは一時間近くあったはずなのだけれども、揺れの被害が大きかった故なのかここまで津波の犠牲者が出た事は、残念かつ驚きであるのぅと思いつつでは関白は帰るぞ。